マリア・モンテッソーリ博士が考えた人類の未来像とその運命

イースター

今年もまたイースター(復活祭)がやってきました。しかし同じ欧州の空の下、ウクライナでの戦争がまだ終わりません。日々、私はミラノで子どもたちの教育に携わりながら、不安定な世界を祈るような気持ちで見つめています。

ピースドーヴ
復活祭の平和のシンボルであるハト

子どもの家では復活祭を祝うために平和のシンボルであるピースドーヴ(鳩)を子どもたちがエントランスに飾り、「再生」を意味するイースターエッグの卵をコラージュで作りました。

今回もモンテッソーリ博士がどのように二つの戦争を生き抜き、思考を深めていったのか?に私はヒントを得たいと思っています。

そのために最近は原文のモンテッソーリ博士の本を多く読んでいます。

何故かというと、皮肉なことにも歴史は繰り返し、人間は過去の過ちから学ぼうとしないことが今回の戦争で更に露わになり、私たちのような平和を願う教育者や親たちはどのような道しるべを心に持つべきか?今、問われている気がするからです。

私たちの世界は崩壊し、今や再建する必要があります。この中で最も重要な要素は教育であり、今日の思想家は一般に、宗教心への回帰以上に、より激しい競争社会での実践を推奨しています。しかし、人類はまだ戦争がなくなり平和で調和のとれた新しい社会の構築という、誰もが熱心に望んでいる進化の準備ができていません。男性は争いを制御するのに十分な教育を受けていないため、時には加害者、もしくは犠牲者になります。西洋において、高貴な考え、高尚な感情は常にあらゆる形で表現方法を見つけてきました。しかし、戦争は終わらない。教育が古い路線に沿って続けられ、概念の単純な伝達にしかすぎない古いシステムであり続けるならば、問題は何も解決できず、世界に希望はないでしょう。

藤の花
藤の花の影をじっくりと観察して描く子どもの手

そして、モンテッソーリ博士は続けます。

人間の特性(傾向性)の科学的分析だけが私たちを救いに導くことができます、そして、私たちの目の前にいる子どもには、もっと精神的な存在、広い視野での帰属意識を生じさせてくれる社会的コミュニティでの交わりが必要です。世界の真の「力」が正しい方法で使われた場合のみ、人類の救いへの希望があります。その結果として、社会は既に子どもの中に構築されています。その助けは子ども自身からのみ、来ることができます。子どもは私たちをより明るい希望や未来へと導くことができる内なる力を携えています。教育はもはや概念の伝達に限定されるべきではなく、人間の潜在的な能力の開発を目指して、新しい道筋を歩まなければなりません。

では、そのような教育はいつ始めるべきでしょうか?私の答えは、明確です。人間の傾向性の素晴らしさは誕生から始まるということです。それは神秘的なことですが、現実のリアルな側面にしっかりと根付いています。

マリア・モンテッソーリ「新しい世界のための教育」より、1946年
*注)イタリア語の原文から著者が直訳したものです。

藤の花
藤の花の紫色のグラデーションを感覚的に探究する子ども

モンテッソーリ博士は、人類の未来像とその運命をどのように見つめていたのでしょうか。

日々、クラスで小さな子どもたちに関わっていると、子どもたちはお互いから多くを学んでいます。子どもの家というコミュニテイは、家族の延長線上にあるものであり、小さな心には喜びも時として悲しみも怒りも芽生えることが自然な現象であり、同時に自己の感情を知り、自己コントロールを体験的に学びます。

多々なることが瞬時に起こりますが、子どもの世界はピュアで愛にあふれており、充実したゆったりした時間が流れています。

そんな一日の終りにふと立ち止まって、誰もいない静かなクラスを見渡すと私は原点に立ち返ります。そこから見えてくることは、先ず、その教師の内側にない美意識は環境に反映されないということ。

今年は我が家ではPERUGINA社とコラボのDOLCE&GABBANAのエッグを家のリビングに飾りました。 卵型のデコレーションは、数年前にプラハでAMIの国際会議があったときに記念に買って、持ち帰ったものです。

高校二年生の息子もクリスマスの次に来るお祝いのパスクアを楽しみにしており、今年は久々に家族で郊外のレストランへ行きます。日常のささやかな小さな喜びを大切にしたいものです。

イースターの卵
自然界に感化された今年の子どもたちのイースターエッグのお仕事

私たちはこの大きく揺れ動く世界の中でどのように生きていくべきなのか?

今、まさしく地球規模で誰もが手探りしています。わたしたちの学校では必要物資をウクライナへ届けました。

ミラネーゼの友人たちはウクライナ領事館に電話をして、難民の母子のホームステイ受け入れの登録をする人が増えています。こんな時、イタリアはどこまでも優しさと祈りに支えられる国だなと感じます。

引き続き、一刻も早い停戦を願いつつ・・・皆さまもどうか穏やかな喜び多い春をお迎えください。

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