モンテッソーリの感覚教具とは?

感覚教具
『人間の手は知性の道具である』とはマリア・モンテッソーリの言葉です。子どもが自らの手を使って、外界を探求し、体験を通じて知る。このプロセスがモンテッソーリ教育にとっての「学び」です。

モンテッソーリの考案した感覚教具は、「科学的教具」と呼ばれているのをご存じでしょうか?モンテッソーリスクールで使用される教具には、言語、数、日常生活、文化、感覚、音楽、アートと幅広​いエリアについて子どもたちが学ぶための教具が用意されていますが、その中でも感覚教具は特別な存在です。

感覚教具は、子どもたちの視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚、いわゆる五感を洗練させるためにデザインされています。その感覚教具の土台となるのが、モンテッソーリの言う「日常生活の練習」なのですが、このことはまた別の機会にお話させて頂きたいと思います。

モンテッソーリ
マリア・モンテッソーリ医師

モンテッソーリは、イタリア初の女性医師です。1907年に世界初の子どもの家をローマの貧民街で開きました。

その後、フランスに渡り、パリでアヴィロンの野生児を研究し、教育を担当していた医師のイタール氏(後にサガン氏が引き継ぐ)の両氏に学びます。

そして、当時、精神遅滞児(今でいう発達障害児)と呼ばれていた子どもたちの生理学的な指導法として、フランスで応用されていたメソッドをイタリアに持ち帰り、更に独自の視点で発展させていくプロセスの中で、子どもの精神を発見します。これが子どもの創造性や自発性、感受性、遊びや学びという生きた感覚を伸ばしていくことに重点を置いた、モンテッソーリ教育の始まりです。

感覚教具
集中してお仕事をする子どもの手

さて、話を戻します。人間は、見て、触れて、聞いて、味わい、感じて、初めて「そのものが何か?」を学習します。その体験を子どもたちが漠然とした感覚で終わりにせず、きちんと整理して秩序立て、深く感覚に印象付けられるように考案されているのが「マテリアーレ」と呼ばれるモンテッソーリ教具です。理解するとは、「自分のものにする」ということなのです。

感覚教具は、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と、カテゴリー別に子どもが自由意思で好きなものを選び、教具を探求し、 その一つ一つの教具の目的を子どもがマイペースに達成できるようにデザインされています。

例えば、目と手の協応作業や五感を通じての探求、手先の洗練などは、目に見える直接的な目的です。目に見えない間接的な目的では、秩序感を得たり、意志力を育てたり、注意力を一点に注ぐことによって得られる集中力などです。そして、物事を順序立って考えることによって、自分でできるという達成感も含まれます。

また「手を準備する」という意味では、それぞれのお仕事の積み重ねが「書くこと」への基礎となります。モンテッソーリの子どもたちは、突然、鉛筆をもって文字を書きだすのではありません。その前に十分な時間を基礎作りに費やしています。砂文字を感じたり、円の中の内側を塗ったり、縫いさしをしたり、同じものや違うものを比較して、比べたり、合わせたり、そう言った作業であるひとつひとつのお仕事が、すべて次の段階への準備なのです。

感覚教具
美しいグラデーションカラーの色板

写真は、色板と呼ばれる教具の三番目の箱です。(一般には三段階で準備されている「色のお仕事」の三番目の箱です。

ちなみにイタリアの初期の教具には、4番目の箱もあります。)中にはグラデーションが美しい色板が入っています。現在は、木製のものが多く見られますが、この教具がデザインされた当初は、一つ一つが丁寧に絹で縫われて、職人によって作られていました。ちなみに北イタリアのゴンザガにあるモンテッソーリ博物館では、初期の教具や家具がそのまま展示されています。

教具とおもちゃの基本的な違いは、教具には、「目的」があるということです。教具には、より具体的で明確な目的があり、一度に一つのポイントが絞られて、子どもが本質を体験できるように考えられています。有名なピンクタワーはピンクですので、大きさだけに集中できます。茶色の階段は、太さ、細さなど。子供がお仕事を自分で選んでする。おもちゃは何度か遊ぶと飽きてしまったりしますが、教具は、何度も繰り返しできます。発展、展開という形で子どもの探求は続きます。ただ単に美しいだけではなく、子どもの自然の発達に沿うようにデザインされているのです。

感覚教具
立体識別感覚を養うお仕事

「科学的教具」である感覚教具は、今でも色褪せることなく、100年前からほとんどスタイルが変わっていません。子どもが五感のすべてを使い、世界を知るための鍵を与えてくれるという重要な役割を担っています。

もちろん、鍵を開けて、歩くのは子ども自身です。教師は、扉を開けて、歩いていく子どもを見守り、支え、導いていくのです。変わりに歩いてあげることはできません。自分自身を築くプロセスを子どもは生きています。それは。他の誰でもないその子どものお仕事なのです。なんて理にかなっていて、秩序と調和があり、美しいのでしょう。

この世界はどんな場所なのか?子どもたちは知りたがっています。感覚教具はそのための架け橋になるのです。

長い、短い、大きい、小さい、太い、細い、重い、軽い、濃い、薄い、苦い、甘い、硬い、柔らかい…etc すべてこの世界には「対」があります。大きい、小さい、冷たい、温かいというような大人にとって当たり前のことでさえ、子どもとっては、未知なる体験なのです。子供と大人の感覚は全く違うということを覚えておきたいものです。

そして、運動の調整も大切です。モンテッソーリは「心理運動」と呼びましたが、心と身体を切り離して考えず、意志力の発達にも段階があることを子どもを観察することによって発見しました。

私たちも感覚教具を使う一人一人の子どもを注意深く観察して、集中力を科学的にグラフ化して見ていきます。子どもの頭と心で何が起こっているのか?それらをモンテッソーリは科学的に捉えたのです。

感覚教具
円柱差しのお仕事をする子ども

もう一つだけ、例を取り上げます。例えば、感覚教具の円柱差しは、親指と人差し指と中指で丁寧に掴み、持ち上げます。このことが将来の鉛筆を握って書くということの基礎となるのです。繰り返し何度も行えて、自分で選ぶ権利があり、自由選択がある。すべてはそんな積み重ねが形作っていきます。

三歳児さんは、初めはじっと観てるだけかもしれません。でも、それでいいのです。大人が焦って、先走る必要はありません。

教師は、架け橋です。環境と子どもの間を教具を使って、つないでいく。見せ方にはコツがあり、ポイントがあります。ここでは、動きの分析をして、ゆっくり丁寧に見せていきます。教えていくのではありません。示唆するように導く、忍耐や愛情もいりますが、何よりも直観がモンテッソーリアンには必要です。

感覚教具
三項式のお仕事をする子ども

大切なのは、相手が何を求めているのかを感じる心。そして、その時々に必要なものを見極めて、差し出していく知力が何よりも求められます。たくさんの引き出しを持っていること。なぜならば、人間は皆、違います。子どもも一人として同じではない。教具の見せ方も原型は同じですが・・・子どもによって、見せ方も変わっていく。その点、子どもの発達に関する知識と深い洞察力、観察できる技術が必要なのです。

とはいえ、そんなに難しく考える必要もありません。子どもには吸収できる頭脳があり、精神があり、心があります。大人はそれを信じて、環境を整えて、子どもを笑顔で迎える。そして、その子どもの可能性を信じればいいのです。

子どもたちに愛されてこそ、モンテッソーリ教具は本質的に輝きを増していくのですが、何せ、この記事を書いている6月中旬は学年末、バカンスが始まったばかり。私は、クラスの整理のために学校に来ています。最終日にがらんと空っぽのクラスに座り、教具の色褪せている角を丁寧に磨きながら、今年もどれほどの子どもたちがこのマテリアーレに触れてきたものだろうか?と、一人静かに思い起こしています。写真は、2月のまま時が止まったクラスの様子です。

クラス

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