戦争を生き抜いたマリア・モンテッソーリ博士の言葉から平和を考える

ウクライナマリア・モンテッソーリ博士と平和について。

この二週間ほど、ヨーロッパにとって最もダークで重い日々が続いています。ようやく二年にも及んだコロナ危機の出口が見えてきた矢先の戦争なだけに、とても心痛みます。

ロシアが西側諸国の忠告を無視した形でウクライナに侵攻しました。現時点では、17日が過ぎて状況は刻々と悪化しています。このような侵略戦争が21世紀になってもヨーロッパで起こりうる!という現実に、気持ちが押しつぶされそうになります。

一夜にしてすべてを置いて、愛する祖国を出なければいけない運命となった大勢の人々の中には子どもも沢山います。

250万人以上のウクライナの方々が国を追われ、イタリア政府も積極的に難民を受け入れを始めています。このような状態でどのような未来が描けるのだろうか?と無力にも祈ることしかできず、大きな溜め息が出ます。

サルトル(フランスの哲学者)が言うように、『戦争では一部の裕福な人間の利益のために、一般市民と貧しいものが苦しむ』のです。

ミラノの伝統的なモンテッソーリスクールでは、門の前に「戦争反対」という旗を揚げるところが増えています。戦争反対のデモがイタリア中のあらゆる広場で起こり、公立の中学校と高校では生徒たちが学校の前にバリケードを作ったというニュースも流れました。

また天然ガスとエネルギー問題も今、欧州では一番関心の高いトピックです。イタリアはロシアの天然ガスに40%の依存をしているだけに、ここから先のエネルギー資源の問題をどうするべきか?ということが問われています。

桜
ミラノの街中に咲く桜に春を感じます

それでも時は刻々と進み、ミラノでも僅かに春を感じられるようになりました。

この時期は、去る冬を儚み、来る春を喜びつつ少しおびえる、そんな繊細で打ちのめされる日々がもう少し続きそうです。

私はあまりテレビは見ないのですが、意図的に情報をシャットアウトすることも大事だと感じます。戦争のニュースばかりだと気持ちも落ち着きません。だから、敢えてそっと寄り添ってくれるような優しいキャンドルの香りに一日の終りには癒されつつ、ひとり静かにモンテッソーリ博士の残した言葉に耳を傾けています。

 

 

以下、 イタリア国立モンテッソーリ協会発行によるマリアモンテッソーリの原本【平和と教育】 22ページより引用(イタリア語の原版を私が個人的に翻訳した文です。日本語版とは異なるかもしれません。)

「もし人間が精神的に健全に成長し、十分に発達して、強く揺るがない性格とクリアな知性を獲得したのならば、自分の中に相対立する道徳原理を認めることはできず、同時に愛することと憎しむことという二つの正義を心に抱くことはできないでしょう:一つは生命を守り、もう一つは生命を破壊する。また、一方は人間の全エネルギーを結集して築き上げて、片や人間の全エネルギーを結集して築きあげたものを破壊してしまう」

モンテッソーリの本
「モンテッソーリ平和と教育」イタリア語の原版


言うまでもなく、モンテッソーリとは「知育」ではなく、「平和を目指した教育」です。英才教育と勘違いしている人は、その大切な本質を見落としていることになります。

医師であり、科学者であったモンテッソーリ女史は、誰よりも熱心な平和の語り手であり、作り手でした。そして、幼児期における愛着形成の確立がいかに大切か!を教えてくれました。

モンテッソーリが提案した子どもたちの自主性を大切にする魂の教育は、Education for life (人生をかけての自己教育) と認識され、歴史を振り返っても本質的に【戦争を克服する唯一の方法】として世界中に広まったのです。

モンテッソーリ博士は同書の中で、このようにも語っています。

 

 【子どもは、生まれながらにしてきちんとした秩序観を深く抱いているにも関わらず、混乱の中で育ったために先天的に保持している規律感や秩序観を伸ばすことなく育ってしまいます。平和な社会とは、秩序を大切にする人間によって構成されるものです。私たち現代の人類はひどい混乱の中で暮らしています。そこで私たちは、子どもには安定、秩序、調和、愛について語り、教育しなければなりません。子どもは、本来的に秩序を愛する資質を持っているのです】

 

桜
私たちの子どもの家の裏の並木道に咲く見事な桜

このような緊迫感のある世界ですが、大地の下では新たな生命の息吹が目覚めていることに微かな希望があります。

今朝は子どもの家の裏の通りに桜が咲いているのを見つけて、私は心から嬉しく感じました。ミラノで眺める桜は、グレーの石畳の街にどこか幻想的で儚い印象を残します。

自然は強くて優しい。誰のことも偏見なしで差別もジャッジもしないどころか、自然の摂理に忠実にただ優しく温め、包み、見守り、育て、人間の愚かな過ちさえも受け入れて、許してくれます。

私たちの目の前の子どもたちも「自然」そのものです。

 

 

そして、よいニュースもあります。

陸続きのヨーロッパならでは、薬などの医療物資であればイタリアからも戦地へ届けられると近所の教会のウクライナ人の司祭に聞き、我が家でも早速その準備を始めました。このことは決して他人事ではなく、明日は我が身という共感の心で、微力でも出来ることをしたいと思います。

もう春はすぐそこの角まで来てるのに、何とも切ない今年の春です。

イタリア語では平和をPACE(パーチェ)と言います。

子どもの家では、今日もウクライナの国旗を作成したり、平和のポエムを唄ったり、パーチェのシンボルであるピースドーブを作成したり。非常にデリケートなテーマですし、クラスにはロシアの子どももいますから、私も中立的な立場を貫いています。

子どものお仕事
国際女性の日に子どもたちが作成したミモザの作品

更に、38日は国際女性の日でした。

本来であれば、町中にミモザが溢れて、来月の復活祭を喜ばしく迎える時期なのですが、実際の暮らしではガソリンの原価が上がり始め、ウクライナが生産地であることも多い小麦粉や大豆、家畜の肥料などの値段が上がる一方です。

これからどのような社会になっていくのでしょうか?

現在ではロシアの上空を飛べないということで欧州の航空会社の殆どが日本便を欠航しています。また今年の夏も日本へ行けないことが予想されます。そんなこんなの不安も入り混じりますが、こういう時こそ、心の穏やかさと平安に重点を置きたいと思います。

そもそも平和は私たち一人一人から始まるべきもので、人生は巡り廻っていくもの。如何なる争いにも正解はなく、ましてはSNS上での各国の戦争のプロパガンダに真実さえもわからなくなり、現代人は心が傷つきます。

第一次世界大戦と、第二次世界大戦を生き抜いたモンテッソーリ博士も、このような言葉を残しています。

【忘れられた市民である子どもが健全に育つための法則を私たちは知る必要があります。
その法則に従って子どもたちを育てることによって、平和を愛する新しい人類の創造が可能になる。つまり、子どもは人類の父、人類の師なのです】

このような不安定な時でも「平和は子どもから始まる」と強く信じて、この状況を見守っていきたいと思います。モンテッソーリ博士も戦争を生き抜き、これらの言葉を未来に生きる私たちに残されたのです。そこからヒントを得ながら、明日を生きる力になればとの願いを込めて。

平和は一人一人から始まる。私たちの内なる平和とあふれる愛が世界を駆け巡りますように。そして、一刻も早い停戦と和解を心より祈ります💗

 

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