モンテッソーリ教育のこれからーコロナ危機が教えてくれたこと

ミラノより、こんにちは。もう6月ですね。毎朝、近所に流れる運河まで散歩に出るのですが、初夏のイタリアは、紫陽花やジェルソミーネと呼ばれる香り高いジャスミンがきれいな季節です。

6月1日現在、イタリアではコロナウィルスの感染が落ち着いてきています。お店や美術館も段階的に開かれてきており、街も少しずつ活気が戻ってきました。まだ大半はリモートワーク中で街中に人は少ないのですが、カフェなどでは社会的距離を配慮しながら、マスクも手袋も身に着けるエチケットが当たり前の日常となりました。ミラノでは、お洒落なマスクをよく見かけます。

イタリアの紫陽花
色鮮やかなイタリアの紫陽花

ロックダウン中は閉まっていたお花屋さんもようやく開きました。路上では、季節の花の色鮮やかな美しさに励まされる思いがします。

私たちのオンラインのプラットフォームでの家庭でのお仕事の提案も、バカンス前最後の週となりました。毎週、各エリア(日常、数、言語、芸術、自然、文化、各年齢別に十分な創造性あふれるお仕事の提案とアプリを使ったオンラインレッスン、録画レッスンなど)のお仕事を子どもたちがこれが面白かった、などと報告してくれます。

今、14週目の課題をすべて終えたところです。先日は子どもたちのお仕事の整理をするために学校へ行ったのですが、一つ一つのお仕事を確認しながら、各自のファイルに納めていくため過程で当たり前のように刻まれていた暖かい幸せだった時間を感じて、じーんと胸が熱くなりました。

私たちの学校は、6月12日が最終日です。ここからは個人面談に入り、9月からの環境設定の準備が始まります。こちらは学年末です。あと少しでイタリアので長い夏のバカンスが始まります。今年は教育省からすべての教育機関に対する衛生管理における特別な指示が出ると予測されるので、学校での環境設定を大きく変えなければいけません。

子どもたちのお仕事
子どもたちのお仕事

そして、コロナ危機もあり、異質な夏になるとイタリア人の誰もが思っています。遠出はできないし、人込みも避けなければいけません。ビーチでは、距離を開けてビーチパラソルを置くようになります。

そのような雰囲気の中、良いニュースもあります。イタリア政府が子供連れの家族にバカンスの援助金を出す法案を通したのです。「イタリアには素敵な夏のバカンスが来る」とコンテ首相はテレビの会見で言いました。大きな経済的ダメージを受けた観光ホテル業界もこれで少しは助けられると思います。

今回のコロナ危機で思ったことは、人間は自分たちが思った以上に生物学的に脆い存在で、モンテッソーリ博士が言うように『地上の生命体や与えられた環境との相互依存の関係に生かされており』地球が始まって以来、人類は種を守り、ずっとウイルスとの戦いに晒されてきた。そんな大きなうねりの中に自分たちも存在しているということ。更に人間が築いた経済システムも、グロバリゼーションさえも脆いもので答えは一つではではないということ。私たち人類が地球を我がもののように支配して、環境を傷つけてきたことも含めて、このパンデミック危機は人類の大きな曲がり角なのでは?と思います。

過去、中世のヨーロッパではペストで大勢が命を落としました。今回、ミラノでは16世紀以来、閉じていなかったスカラ座オペラ劇場が閉鎖されました。「暗黒の時代」と呼ばれたヨーロッパでペストが去った後に再び誕生したもの。それは「再生への道のり」です。当たり前がひっくり返ったときに、あのルネッサンスがイタリアで生まれたのです。まさしく危機が新たな価値を生み出す原動力になったのだと思います。

ボッティチェリ ヴィーナスの誕生
ボッティチェリ作 ヴィーナスの誕生

人々が「黒死病」と呼ばれたペストに生命を脅かされ、死という誰もが避けられない運命と背中合わせで、必死に生き抜いたに最も暗闇に閉ざされた時代の終わりに起こったルネッサンス。ご存知の通り、西洋社会ではルネッサンスを皮切りに、社会構造がガラッと変わりました。

人間が生きる美しさ、人間の魂や精神が芸術を通じて生きることの喜びを表現する自由や美しさを得て、知性と美がまるで結婚のよう統合し、一気に開花したルネッサンス。21世紀を生きる私たちにとってもそれは教科書の中の出来事ではありません。ここにも一つの古い時代が終わると同時に、新しい時代が始まる一連の歴史の流れがあり、必然的に今、起こっていることも次へと繋がっているのです。

では、私たちはどこへ向かっていくのか?

昨晩、アメリカでは民間宇宙船のクルードラゴンが宇宙飛行士を乗せ、打ち上げに成功しました。たった10分もの間に宇宙船は大気を超えて、宇宙へ飛び出しました。人類はこんなに素晴らしいことも成し遂げることができます。でも、同時に同じくアメリカでは、数日前にミネアポリスで起きた黒人男性死亡事件があり、全米各地で抗議デモで混乱が拡大しています。ただでさえコロナで秩序の乱れる世界にまた心の痛むニュースです。コインの表と裏、その全体性を受け止めていくことや共感や連帯を強めていくことこそが今後の大きな課題なのではないでしょうか。

木々の繁るミラノの道
木々の繁るミラノの道

今、私が感じるのは… 人間は地上を制覇したように勘違いしていたけど、見出すべき答えはもっと先にあるのかもしれない。 過去にもペストという嵐が過ぎ去った後の16世紀にルネッサンスが起こったことを思うと今、人類がまた歴史のうねりに飲み込まれて自分たちにしかできない新たな価値観を、目に見えない敵と共存しながら生み出すべきときが来たのかもしれない。ということです。今、ようやく一人一人が尊い存在で壮大な宇宙のタペストリーの一部だと思い出すべき時代なのではないでしょうか。

一人一人が豊かに幸せに生きることのできる世界の再建築。そのために本物の教育は土台となります。世界でたった一人の自分を作る。モンテッソーリ教育は、時代を超えても揺るぎないく、決してブレることのない軸を持っていると確信しています。

私はイタリアのモンテッソーリの現場で働きながら、今こんなことを思っています。すべてが剃り削られた後にでもなおさら残るものの中にこそ、本質は宿るのです。世界中で学校が閉鎖されて、学ぶということへのアクセスが閉ざされた子どもたちも大勢います。一般の教育も当たり前がひっくり返った今だからこそ、生まれ変わるチャンスなのではないでしょうか?

人々の幸せや生き方、社会の在り方を考えて行く中で、360°視界を見渡しながら、国家と個人の関係も見つめ直し、未来の社会を築き上げることが今、問われています。子どもの教育も新しいルネッサンスを生み出す世代を育てるというような創造性ある感覚でデザインされていくべきなのでは?と思います。悪夢のように辛かったイタリアでのコロナ危機の春を乗り越えて、今、私は希望の光のような微かな可能性を感じ始めています。

今後の教育はマリア・モンテッソーリ博士が唱えたように、生命への援助であることを出発点に人間の精神の向上に貢献するべきものであること。人間の幸せな生き方や働き方の多様性、永続可能な社会や環境にも人間にも優しい調和を重んじる社会の中心にあるべきで、競争ではなく共感心を育てていくべきことは言うまでもありません。異なるものとの共存や調和、平和を思い起します。そのような大きなビジョンが教育者には必要なのです。広い地平線を見渡すような価値観をもとにお互いに自分自身であることや他者への尊重を学びながら、本質を深めて磨いていきたい。微力ではありますが・・・私もそのための大河の一滴になりたいと思います。

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