コロナウイルスとイタリアの子どもたち

北イタリアより、こんにちは。久しぶりのブログです。

ここミラノのあるロンバルディア州は、コロナウイルスの感染拡大で大惨事となり、あれという間にこんなに時間が経過してしまいました。季節は廻り、気がつけばもう春が過ぎ、初夏となりました。ロックダウンで失われたときを回想しながら、今の状況を少しずつアップしていきたいと思います。

2020年の1月に中国でコロナウイルスが拡大していた時期、イタリアでは気管支炎やインフルエンザがとても流行っていました。でも、多くのイタリア人を含め、誰もが「遠い東洋の国のウイルスだ」と思っていたと思います。

それから1か月が経ち、2月下旬には、北イタリアのコドーニョという町で第一感染者が発見されました。あれよこれよという間に感染者が広がり、政府の指示で町が軍によって封鎖されたのでした。ここミラノもその2週間後には都市が封鎖(ロックダウン)されました。国民には外出禁止令が出され、誰も家から出れず、保育園から大学まですべての教育機関がストップしたのです。

静まり返ったミラノの子どもの家
静まり返ったミラノの子どもの家

毎年恒例の2月の謝肉祭(カルネバーレ)休みの最中のことでした。ちょうど子供たちをお庭で遊ばせているときに、オフィスの事務の方が「コロナウイルスがイタリアに来た!」と伝えに来たのです。その日は半日保育で、午後はカーニバルの仮面を壁に飾り、不安なまま園を後にしました。家に帰ってニュースを見ると、このイタリア人の初の感染者が出たというニュースに、イタリア中が衝撃を受け大変なショック状態だということがわかりました。翌日、ベネチアで初の死者が出ました・・・。

それから2か月、ミラノの街もすべてのお店が閉じられて、生活必需品を売る商店以外、意外ありとあらゆる商店が営業できなくなりました。人々は買い物以外は外に出られず、家から200メートルまでの散歩しか許されないという厳しい制限のある暮らしが始まったのです。

まだ冬の終わりの寒い日々でした。当初は、私たちは「2週間学校が閉鎖される」という認識でしたので、誰もがこのような長い期間、都市、ひいては国全体を封鎖をするなど思ってもみませんでした。ですが、3月中旬からイタリア国内の死者が急激に増え始めて、感染者も日に日に増していきました。そこで私たち教師は、オンラインで学校のスタッフ会合を行い、「これからどうしようか?」と話し合ったのです。子どもたちは学校が閉鎖されたため、家庭の親元にいます。その親もスマートワーキング(日本ではリモートワークと呼ばれています)の形式で、皆家で仕事をすることになっていました。

先ず、私たちが話し合ったのが、今迄の私たち教師の間での価値観の共有です。テレビは見ないとか、スマートフォンやIPadなどのモバイル・テクノロジーは子供たちから遠ざけるというような従来の価値観をいったん横に置いて、今までに経験したことのないような現状の中で、子どもたちやその親たちを支えられる方法を、ポジティブに一緒に考えようというものでした。

前述のように、私たちの園は、元々親御さんたちに対して「テレビやモバイル・テクノロジーは控えめに!」と謳っていたモンテッソーリ園でしたが、皮肉なことに国家全体がウイルスの危機にさらされている以上、そのテクノロジーが子供たちとその家族、そして私たちを繋ぐ唯一の架け橋となってしまったのです。他に方法はありません。

そこでまず私たちは、インターネットを利用し、ウェブ上に「子供の家」の会員制の共有スペースを作りました。そのプラットフォームに日常、言語、感覚、数、図形、アート、自然という分野を作り、月齢別にフォルダーを分けました。「子供の家」の教師6名がそれぞれのエリアに2つずつの「家庭でできるモンテッソーリ」のお仕事を父兄への説明も加え、毎週アップデートして提供するというものです。モンテッソーリ教育のオンライン化の初の試みです。

ここで討論されたのは、「自由選択を尊重しよう」ということでした。園でもたくさんの教具がありますが、それをすべて子どもたちが利用するわけではありません。まずは個人の好奇心があり、興味があり、敏感期があり、各自の時間があり、空間がある。家庭といえどもそのような環境で「自由に選ぶ」ということを重要視したかったので、内容を敢えて多めに準備し、子供たちが親と一緒にそれらを自由に選べるように配慮しました。私たちの学校は、都市封鎖されている中でも、自由と規律の学校なのです。モンテッソーリ教育は、俗に勘違いされるような「放任主義」ではありません。

イタリアのオンライン授業
LOOM録画レッスンの配信

そして、私たちはバイリンガルスクールですから、英語とイタリア語の教師2名ずつが各自4つ、計8つの録画レッスンを一週間でイタリア語も併せて合計16本、LOOMというアプリを使い、配信することになりました。これは大変な作業です。テーマを決めて、パワーポイントで写真や音響を準備して、私たち教師が録画された映像をオンライン上にアップデートするのです。WIFI環境に左右されながらも、教師全員がの試行錯誤しながらこのようなオンラインでの取り組みを始めたのです。

言うまでもなく、モンテッソーリでは、「実際に手で触れる、体験する」といった実体験が一番大切なのですが、今はそれもひとまず横に置いて、バーチャルな世界でもできることに賭けるしかありません。ひとつのレッスンは、5分程度です。添付しているPDFファイルを視聴後にダウンロードしてもらい、家庭で子供がお仕事できるように配慮して準備しています。そのような形で工夫をすることによって、オンラインでも豊かな内容を提供できると気が付きました。

それらに加え、親も交えた個人面談をオンラインで開催しました。面接の予約を取れば、20分ほど個人へアドバイスなどすることができるようになりました。現在も私の手帳は親たちとの面談でびっしり埋まっています。親御さんの中には、ただ悩みを聞いてもらいたい人もいれば、子供との関わり方をもっと知りたいというお母さま方も。

モンテッソーリ子どもの家のシンボル
モンテッソーリ子どもの家のシンボル Wikipediaより

モンテッソーリが子どもの家のシンボルに選んだ、ラファエロの椅子の聖母の絵を覚えていますか?1907年マリア・モンテッソーリ女史が、ローマのSan Lorenzo(サン・ロレンツォ)地区に開かれた子どもの家にて、自宅の壁に飾ってあったラファエロの聖母の絵を自身の母親であるRenilde Stoppani(レニルデ・ストッパーニ) さんから貰ったことに由来しています。「(貧民街に開かれた子どもの家で)子どもたちに美しいものを見せてあげなさい。」と言われたのだそうです。「家庭、子供、教師」この三角形をモンテッソーリ博士は大切にしていたのです。ここで教師の役割の大きさを実感したのはいうまでもありません。

1か月経った頃に、更にイタリアの状況は悪化して、都市封鎖が延長されました。感染のピークを3月の終わりに迎えても、まだ困難な状況には変わりありません。私たちのオンライン・レッスンのプラットフォームにも、その段階でプログラムに追加を加えました。新たに追加したのは、ZOOMというビデオ会話のアプリケーションです。これを利用し、子供たちとの直接のレッスンを開始しました。週に1回の3歳児を除いて、4歳児と5歳児は、週に2回ほど少人数制でオンラインの短いレッスンを行うことになりました。

週の初めにはレッスンをします。子供たちと一緒に歌を歌ったり、ゲームをしたり。スクリーンの向こう側で子どもたちは元気に飛び跳ねたり、こちらに反応を示してくれます。週の終わりには、私たちが用意したお仕事を子どもたちが発表する場を設けました。この「SHOW AND TELL」の時間が大人気です。初めは恥ずかしがっていた子供たちも、今では誇らしそうにお喋りをしてくれるようになりました。大した適応能力ですね!

人生の学びはこのようなパンデミックの時にもあるようです。私はこの期間に家族との時間を取り戻し、パン作りを覚えました。自分自身と家庭の暮らしのリズムをもう一度見直して、毎日の食事もより丁寧に作るようになりました。健康であることがこんなにありがたいことなんて!この頃は日々、終息を祈っていました。

次回に続きます。

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