マリア・モンテッソーリ博士の生誕150周年によせて

モンテッソーリ生誕150周年

ミラノよりこんにちは。ここ数日、日本の自然災害のニュースを聞いて胸が痛みます。これ以上、被害が広がらないことをイタリアより願っています。

2020年は、マリア・モンテッソーリ博士の生誕150周年です。1870年にイタリア、アンコーナ州のキアラバーレで誕生してから、現在に至るまで、既に150年もの年月が経っているのですね。

さて、先日、7月4日付けのイタリアの全国紙、LA REPUBBLICA(ラ・レプブリカ)の紙上で、「アフターコロナの教育を考える」という特集がありました。モンテッソーリ教育の発祥の地であるここイタリアでは、今、これまでの歴史を振り返り、ここから何をどう変えていくべきなのか?という議論が、モンテッソーリ教育関係者のみならず、一般の教育関係者、ひいては政治家の間で熱く討論されています。教育における基礎となる大切なものは何なのか、ということを再び模索しているかのようです。また、過去の歴史を見直し、そこから学び、得られるものもあるのでは?という視点で、この記事は書かれてありました。

現在、イタリアはアフターコロナの様々な舵取りの最中です。個人レベルでも今まで当たり前だと思っていたことが完全にひっくり返りました。社会的距離を保つことが当たり前の日常では、一緒にいられるということでさえありがたみを感じます。私個人としても、既に培ってきた自分の中の礎を振り返りながら、自らが得た知識や能力を一つずつ丁寧に築き上げ、磨いていきたいと思っています。「モンテッソーリ教育」という軸を持ったこれからの自分自身のアイデンティティーの確立を、深く掘り下げている自分が今、ここにいます。

教育者というのは、いわゆるエッセンシャルワーカーです。人々の暮らしに必要不可欠であり、その分、重い責任があります。だからこそ、軽やかな心でもう一度、向き合いたい。この特集を読んで、今回、そのような心境に私はたどり着きました。ある意味、原点回帰です。

私にとっても、今までの道筋が確実に支えとなっており、これからはより責任感のある意識と共に、大河の一滴のような存在へと成長していけたら、と思います。より大きな流れに乗っていくかのような新たな意識が自分の中に生まれつつあります。きっと、誰もが変容を促されるコロナ禍のこの時期に、今朝の記事はとてもタイムリーで、興味深かったので、ここに少し紹介したいと思います。

La Repubblica
「誰のために自由の鐘を鳴らすのか」というラ・レプブリカ紙、教育特集の見出し

「誰のために自由の鐘を鳴らすのか」という見出しで、150年前、19世紀の終わりの学校の様子が伺えます。

この時代の子どもたちは、一列に並べられた机に座らされて、知識があるとみなされた大人から一方的に教えられていています。そこには、個人の人格の尊重も自由意思もなくて、自由選択もありません。そのような姿が印象的ですが、今でも公立校や一般の教育は、このような流れの沿線上にあるのではないでしょうか。

モンテッソーリ教育を考えるときに、「自由」というのは非常に重要な観念です。一体、自分で選ぶということはどういうことなのでしょう?女性が大学で医学を学べなかった時代に、そのような社会の在り方に疑問を持ち、自らの意志でローマ法王に直接会いに行き、イタリアで女性初の医学部への入学許可を勝ち取った女性、それがマリア・モンテッソーリです。

マリア・モンテッソーリは、医学部を首席で卒業した後、1907年にローマで世界初のCasa dei Bambini (子どもの家)を開きました。子どもの学びの場であるこの「子どもの家」は、すべてが小さな子どもサイズに整えられて、自由意思で子どもたちが生き生きと学べる場所でした。それは同時に、子どもたちが一個人として、責任を持って行動するための社交スキルを学べる場でもありました。何事にも選択には結果がある、という社会の法則を幼いころから学んでいくのです。

この「子どもの家」で、マリア・モンテッソーリは科学的な観察を通じて、子どもの自然な発達に応えることのできる整った環境さえあれば、たとえ大人が教えなくても子どもたちは「自分で」自ら学んでいくことを発見します。「子どもは知らざる力を与えられており、それが輝かしい未来へと導いてくれるのです。子どもは人類の建設者だからです。」と、後に、著書『創造する子ども』の中で述べています。今まで誰も発見しなかった小さな人間の精神を発見したのです。

人間の子どもが内的な力を備え持っていることに焦点を当てたマリア・モンテッソーリは、逆に子どもによって導かれたと言った方が正しいかもしれません。当時、ローマのSAN LORENZO(サン・ロレンツォ)地区は貧民街であり、恵まれない家庭の子どもや、精神薄弱児と呼ばれる子どもの実験の場でした。ここでは、マリア・モンテッソーリを初め、彼女の指導教授であったローマ大学の精神科医、ジョセッペ・モンテサーノ医師が状況を静かに見守っていました。

La Repubblica
ベルリンに到着したモンテッソーリを迎える子どもたち。1930年

写真は、1930年のベルリン中央駅で、到着したマリア・モンテッソーリを迎える子どもたちです。「ベルリンへ、ようこそ!」と書かれたプラカードを手に持っています。

マリア・モンテッソーリは時代と共に世界へと羽ばたいていく運命にありました。この一人の教育者が生涯をかけて願ったこと。時間が超えても、尚、残り続けていくもの。すべてが削ぎ取られた後にも、残りうるもの。その欠片をこのブログでは、少しずつ私の言葉で皆さまにお伝えしていきたいと思います。

この特集を読んで、私自身も新たな再出発地点に立たされた思いです。そこに美や希望を再び見い出すことができるのは、子どもたちとの実践の日々があるからです。マリア・モンテッソーリ医師の残してくれた文化遺産は、今、発祥地であるイタリアで「群れない教育、個人を大切に育てる教育」として、再び熱い視線を浴びています。

この秋にローマでは、モンテッソーリ生誕150周年を祝うために国際会議が予定されています。しかしながら、世界中が未だにコロナ禍にあり、無事、会議が開催できるのかどうか・・・。
一体世界中のモンテッソーリアンが集まれるのでしょうか。今後、私もミラノから状況を見守ってゆきます。

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