イタリアの学年末と子供たちの失われた時間に想うこと

ミラノミラノより、こんにちは。日本は梅雨の始まりでしょうか? こちらは地中海性気候の初夏を感じさせる涼しい季節です。

先日、6月12日をもって学年末を終えました。2月24日から、まるで時が止まったかのように目の前に繰り広げられる現実をただ受け止めてきました。

10代の頃、家族で当時住んでいたバルセロナから、週末に訪れたスペインのフィゲーラスにあるダリ美術館で見たあの不思議な絵のような世界です。その絵はぐにゃっと曲がった時計が木に垂れ下がっているという… なんとも奇妙なシュールなものでした。

ダリの絵
ニューヨーク近代美術館所蔵「記憶の固執」(Wikipediaより)

今、オンラインレッスンが終わって、正直なところホッとしていますが。。。それでもこのダリの絵のように当たり前であった日常のリズムが止まってしまい、ロックダウン(都市完全封鎖)によって失われてしまった全ての時間を振り返って、強く心に思うことや感じること、また学ばされたこと、気が付いたことがたくさんあります。今回はそれらのことについて思い巡らし書きたいと思います。

通常は、子どもの家の三学期は充実期です。三年間の総まとめの大事な時でもあり、丁寧に仕上げを積み上げていきます。それは読み書きや、4桁の数の目に見える形のお仕事だけではなく、子どもの意志力、集中力、忍耐力、共感力、判断力、注意力、持久力、創造性といったものがみかんの粒のようにぎゅっと統合されて実るときなのです。それぞれの子どもの個性を見ながら、その調和を子どもの成長に感じられるとき、我ら教師も安心してエレメンタリースクールに送り出せる!達成感や充実感のある締めが毎年恒例でした。

しかし、今年は違います。まったく仕上げができてません。パテシエで言えば、飾りのないケーキを下地だけでウインドウに飾らなければならないような心境です。ロックダウン中は、以前の記事にも書いたようにオンライン上で子どもの家のプラットホームに家庭でできるモンテッソーリの活動を提供していました。各家庭で先生に代わって、お母さまやお父さま方、時にはノンノやノンナ(祖父母)やシッターさんが協力して、子どもたちの活動を見守っていました。中には、うまく行くケースもそうではないケースもありました。
ハリネズミ
ハリネズミのヘンリーも動画レッスンに参加

最後のオンラインレッスンの日には、ここから始まる夏のバカンスについて話しました。そこで小学校はモンテッソーリではなく、インターナショナルスクールに変わる年長さんの女の子がぽつりとつぶやきました。「このままさようならは言いたくないな。もっと、続けていたい。」そして、参加した子どもたちが「よいバカンスを!」と画面から去っていったあとも彼女は一人、スクリーンの前に残っています。机の上の見せてくれたお仕事のぺーパー類をまとめながら、一向にパソコンを離れようとせず、エーゲ海のように透き通ったきれいな青い目から大粒の涙が一つ、二つ、落ちました。

オンライン教材
London Bridge – ロンドン橋の動画のためのイメージ

そう。私たちは卒園していく子どもたちにも会えないまま、今、3か月の長い休暇を迎えようとしています。私はその女の子にこう伝えました。9月になったら、いつでも会いに来てほしい。バカンス中もお話がしたくなったら、お手紙を書いてずっとつながっていましょう、と。「あなたが最初に子どもの家に来た日のことを覚えているわ。二歳半の頬が桃色に染まった小さな赤毛の女の子だったわね。でも、6歳になった今のあなたを見てごらん。もう歯も抜けて、背も伸びて、読み書きもできる。手紙を書くことも!先生はそんなあなたのことをずっと忘れずに、大切に覚えて心で抱きしめているから。子どもの家での楽しかった思い出は、ずっと心の中で生き続けて行きますよ!さあ、海辺のバカンスを楽しんでいらっしゃい!」ここまで伝えたときに微かに微笑みが戻ってきました。

そして、彼女は大きく頷きました。「Ti voglio tanto bene! 」(とっても大好き!)と小さな両手でハートの形を作り、スクリーンの前でクローズアップして見せてくれたかと思うと、泣き顔ですが眩しい笑顔でスイッチを切りました。

オンラインレッスン
子供たちとオンラインレッスン

その後、私はスクリーンの前で座ったまま温かい涙を目頭に感じました。バーチャルな世界でも、子どもたちと心を通じ合わせることができたのです。この女の子の母親は、お医者様です。妊娠5ヶ月の身重でありながらコロナ危機で苦しむ人々を助けするために貢献したい!と感染蔓延で被害がとても大きかったロンバルディア州のこの地で、最後まで現場に出ておられました。

ですから、シッターさんと共に海辺の祖父母に預けられて、母親にもずっと二ヶ月以上も会えないロックダウンを経験した子どもです。その等身大の子どもの目から流れた美しい涙でした。親と離れて我慢することもいっぱいあったのでしょう。それでも、私たちとオンライン上で会えることが大きな心の支えだったのかと思うと心にじーんとくるものがありました。一緒に過ごせた時間が宝だったなと感じます。将来、彼女はどれほど強くて優しい女性に育って行くのでしょうか。

幼児教育は、1クリックではできません。なぜならば、環境との関係に置いて、初めて成立するものだからです。環境の中には、もちろん人的環境として私たち「大人」も含まれます。「どのように関わるのか?」「語るのか?」「在るのか?」子どもはすべてを吸収します。豊かな秩序のある調和に満ちた美しい環境は、私たちの知性と想像力が作り出すのです。

その晩、子どもの家の父兄たちとオンラインで最後の集いがありました。それぞれに困難で不安定な中を乗り越えて、ここまで来れたことや私たちスタッフを理解して、支えてくださった一人一人に私はスタッフを代表して感謝を告げました。私たちもたくさんの温かいお礼の言葉をシャワーのように浴びました。

フルーツタルト
息子の学校の最終日を祝って、焼き上げたフルーツタルト

そして、同じ日に、息子もオンライン授業を終えました。今度は先生から一母親へ、立場を逆転させて、私も一親として感じた感謝の気持ちや、今の心境を息子の担任の教授(イタリアでは中学と高校との教師はそう呼ばれます)に伝えました。

息子の高校は厳しいロックダウン中も毎朝、8時から14時までオンライン授業がありました。その非日常の中に続いた日常の欠片に揺るがない秩序があり、そこだけは守られた空間でした。息子もそこで仲間や教授たちにとても支えられ、励まされていました。永遠に続くかのように感じられたそんな日々が静かに幕を閉じました。

イタリアはコロナ危機で深い悲しみを負ってしまいましたが、ここから再建と再生の物語が始まります。3月には状況が悪化する一方で緊張が高まる日々が続き…とても辛い日々でした。でも、私は毎朝、30分ほどウオーキングに出かけて、家を磨きあげて、録画レッスンのスクリーンでは一切、心配な顔は出さずに、楽しそうに見えるように意識して振る舞いました。今、振り返ると48本のレッスン記録が残っています。内心は、明日は我が身で生か?死か?というくらい不安だったにも関わらず、小さなスクリーン上では、笑って楽しそうに子どもたちに語りかけるもう一人の自分がそこにいます。

それは、このような未知のウイルス​による緊急事態の中で私​が成し得た最善であり、​プロフェッショナルであるという誇りと強さでした。そして、終わってハッと気が付いたのです。きっと、スクリーンの向こう側に待ってくれている「子どもたちがいたからこそできたのだ!」と。

人生に無駄なことは何一つないはずです。こ​の体験を糧にして、私たち教師も学び、成長します。そして、もっと自由な柔らかい感性で、魂の幼児教育を見つめていける気がします。

危機は色んなことを教えてくれます。繰り返し、試行錯誤しながら挑戦したことやVerdi のオペラNabuccoを聴いて夜空を見上げ、涙した日々をいつか懐かしく思うのでしょうか。

ここからバカンスに向けて大切なことにゆっくり時間をかけながら、先ずは私たちには心身共に癒しの時間が必要です。自然にあふれた場所でただ寛ぎたい。そして、ここまで健康でいられた奇跡に感謝しつつ、新たなビジョンを描いて行きます。一先ず、重い肩の荷を下ろすことができます。お疲れ様でした!

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