大人が子どもに与えられる最善のものは、なんでしょうか?

子どものお仕事

久しぶりのブログです。皆さま、お元気ですか?

新年明け早々、風邪を引いたり、家族でコロナになったり、学校でもプラハやベルガモの実習生の観察や受け入れで忙しくて… 新年を終え、あっという間に春を迎えた感じがしています。

マッジョーレ湖
マッジョーレ湖にあるIsola Bella

春休みは、家族で北イタリアの宝石と呼ばれるマッジョーレ湖に行ってきました。

Isola Bellaという美しい島では、貴族ボロメオラ家の宮殿の庭園内で、美しい白い孔雀が優雅に散歩する姿に感動しました。ミラノから電車でたったの1時間の別世界でした。

復活祭明けくらいから、ミラノも少しずつ温かくなってきています。段々と日差しが強くなり、既にサマータイムに切り替わったので、日も長くなっています。長い冬を終えて、ようやく待ちに待った春です。季節の移り変わりを感じると同時に、外出や旅行も楽しい季節になりました。

 

さて、子どもの家では充実の三学期を迎えて、子どもたちは黙々とお仕事を進めています。あと夏のバカンスまで2か月という最後の総まとめのインテンスな時期なのですが、穏やかで平和な空気が流れています。

イタリアでは日本のような学校行事は殆どないのですが、それでも先週は子どもたちの父兄向けに日々の我が子のお仕事の様子を伺えるThe Observation Week、観察の一週間がありました。

子どもの家では、各家庭に一人ずつ(お父さん、お母さんが交互で)45分ほどクラスに座って静かに観察をします。それを午前中の3時間のお仕事のサークルで2回を繰り返して一週間を終えました。

エレメンタリーでは、お庭に子どもたちのお仕事を各テーブルに提示して、親が自らの子どもから教具の使い方やお仕事の目的や意味などを見せてもらうというリラックス感ある体験型の保護者参加の会となりました。

モンテッソーリ教育の美しさを一言で表すならば何と言えばよいでしょう。

そこには、自由があり、責任があり、一人一人の人格が尊重されています。子どもの発達の側面に合わせて環境が形を変えていく。斬新で稀有なアイデアを取り入れた教育だと思います。

最近、私は思うのですが・・・

大人も子どもも、人間にはそれぞれの内に宿る生命の源のVital Energyがあり、その生命力とも言うべきエネルギーが自らの中で、良い気の流れを創っているときに人は輝くのではないか?と。

「幼児教育の目標は、子ども自身の自然な学びたいという欲求を活性化することであるべきです。」マリア・モンテッソーリ

アムステルダムにあるAMI本部のお庭にて、筆者が撮影した小さなマリアモンテッソーリ像

モンテッソーリ教育では、子ども自身の興味や発見、内に芽生えた知りたいという気持ちを活性化すること、それを可能にする環境が丁寧に準備されています。そのために私たちモンテッソーリアンは、日々、身も削る思いで自我はそっと横に置き、子どもを主体に考えながら彼らにとって美しいもの、よいもの、刺激となるもの、発達を促すもの、チャレンジを与えるものを厳選して準備します。

そこには程よいチャレンジがあることも重要です。そして、そのチャレンジは易しいものから、困難なレベルまで、一つずつ段階を経て子どもに与えられます。

そのためによく観察をするのです。観察が出来なければ、タイミングを逃してしまい、モンテッソーリアンは航海図を失います。

小さな子どものお仕事は、それがどのようなものでも大切です。

教具が並べられた棚の前だけで、子どもの発見のような奇跡は起こるのではありません。知りたい、触れたい、手を使い繰り返し、心で感じて、頭でアイデアを構成し、確かめたい。自分を創り上げて、世界を知るというピュアな喜びと学びがリンクする場所、それが本物のモンテッソーリスクールなのです。

いかに「本物」に出会っていくか?私の中で大切な道しるべになっている恩師の言葉があります。

「子どもたちに与えられる最善のものは、愛情のある関係です。それは一生変わることはありません。人間の愛は、最も基本的な必要性だからです。」

シルヴァーナ・モンタナーロ博士

精神小児科医らしい恩師の言葉に私は23年間、支えられきました。きっと、これからも私の軸となり、時には励まし、内なる確信を与えてくれる言葉です。

ミラノでもたくさんの子どもたちと父兄に出会ってきました。教育は知識を与えるだけのものではありません。愛情と信頼のある関係作りが土台にあってこそ、その上に成り立つ学びというプロセスが生きてきます。その体験が喜ばしいものになるかどうかの鍵を握るのは、私たち大人です。そして、鍵を手に持ち、扉を開けて、向こう岸に歩いていくのは子どもたちです。大人は、変わりに歩いてあげることはできません。

私たちの本質的なエッセンスが環境には反映されるな、と実感します。イタリアでモンテッソーリ教育の現場に長年携わり、その実践や体験を立体的に見ていくと、私自身の学びもより深みを浴びて、ますますモンテッソーリに魅惑されます。バックボーンである哲学やヒューマニズムの精神を強く感じるからです。

私たちは日々、あらゆる選択を繰り返しています。どのような視点で世界を見て、視野を狭くするのか。拡げていくのか。私たちの考え、思想、世界に対する態度や生きる姿勢、語る言葉や投げかける眼差しが空気の中で目には見えない安らぎや調和を築くのです。

子どもたちは楽しいことが好きです。美しいものに惹かれて、目の前のことに全身全霊で向き合い、全てを吸収します。すべてを自分の内面に取り入れていくことに偏見も持たず、差別もしません。

では、大人の世界はどうでしょうか?自分自身の生命力を活性化させていますか?どのような側面を磨きたい?時にはそのような自答も必要でしょう。

小さな子どもは、今ここに心を100%置いて生きています。今の時代や自分が生まれ育った文化に適応しているのです。どんな未来が待っていても、幼児期に培った人格形成を土台に新たな価値を見い出し、現実を自らの力で変えていける人に育ってほしいと思います。

競争ではなく、分かち合いを!戦争ではなく、平和を子どもたちにドキドキ、ワクワクする発見や驚きという余白のある真の学びへの空間を与えて自らも成長する、そのように未来への種蒔きをするのが教育者の使命だと感じます。

より良い自分で在るために出来ることは何でしょう?

私は常に真、善、美を意識しています。「Aiutami a fare da solo! Help me to do it by myself! 」「自分で出来るように手伝って!」今後もそのような、目には見えない小さな人の想いにそっと優しく寄り添える大人でありたいと思います。

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