地球は誰のもの?モンテッソーリと環境問題について
世界的に環境保護を訴えて、子どもたちが立ち上がっています。ここミラノでも 9月27日に行われたデモは5 万人規模の大掛かりなものとなり、教育省の通達でこの日のデモに参加した子供たちを学校で欠席扱いとしてはならぬ、という大人側の配慮も見られたほどです。イタリア国会では、「グレタの仲間たちに選挙権を!」と、選挙権を16歳からに引き下げようとする議論も上がっているようです。
地球温暖化を止めるために行動を!というデモがヨーロッパでも毎週、金曜日に行われています。『Fridays for Future… 未来のための金曜日』というスローガンで、ご存知の方も多いのではないでしょうか?日本でも東京で若者によるデモがあったようです。
この運動は元々、スウェーデンの一人の少女、Greta Thunberg さんがたった一人で金曜日に学校をボイコットして、 ストックホルムの国会議事堂の前に座り込み、環境保護を訴えたことが始まりです。この彼女の熱意と信念が飛び火して、ヨーロッパ中をかけ巡りました。ネットや Youtube を通じ て、もはやコミュニケーションに国境はない時代です。今では、地球のあちこちの少年少女がデモに参加するようになりました。
イタリアも例外ではなく、今年の春、3月15日に行われた同様のデモを皮切りに、ニュースの第一面を飾るほどの社会現象となりました。我がモンテッソーリっ子たちもプラカードを自ら作成して、校長先生が笑顔で見送る中、元気に仲間と共に環境保護を訴えるために街に繰り出して行きました。
写真は、その個性あふれる子どもたちによるカラフルなプラカードです。
「地球とはそもそも誰のもの?」
「子どもたちは、忘れられた市民である」とモンテッソーリ博士は、仰っています。『生命の援助』である教育メソッドを考案したモンテッソーリ博士は、誰よりも早くエコロジーというあらゆる生命の相互依存という関係性を、小学校過程である 6~12 歳の時期の子どものためのコスミック教育に組み込みました。ホリステイックという見解から人間を見つめ、その精神の向上に生涯を費やされたのです。
今でこそ子どもの人権問題にそれぞれの国が取り組んでいますが、教育的に見たらまだ理想には未だ持ってほど遠い。それは、人間の子どもの中にある自然の摂理を無視したところで討論されるからではないでしょうか。
さて、この環境保護を唱える子どもたちの提案する社会運動に、私は二つのことを思いまし た。一つ目は、前述のようにモンテッソーリ博士が訴えた永遠の問題。すなわち「子どもとは保護される主体であり、自己形成する主体である」というこの両面を統一した考え方を、近代国家(日本も含めて)がうまく取り組んでこなかった、という事実を認める時が子どもによってもたらされた気がしました。
興味深いのは、モンテッソーリ博士はインドから帰国された晩年には、「子どもから始まる平和」を活発に訴え、平和活動家のように政治的発言も多くしているということです。人類の進化と発達を担う子どもたちが、忘れられた市民とならぬように、未来への一歩として、「子どもの党」という政党まで考案しています。詳しくは、Educazione e Pace (1933 出版)に述べられています。
頭や心だからこそ、感じられることがあるということです。
私も息子をデモに送り出した親の一人です。家庭でも同時進行でプラスチックを使わないよ
うに心がけることやゴミを減らすこと、リサイクルすることを家族会議で話し合いました。
これは、大いにポジティブなことだと思います。大人が子どもから学べることも多くあるも
のです。しばらくは、この運動を見守り、私も自分にできる事を考えていきたいと思います。そし て、最後に地球規模で競争ではなく、共感の時代へ…人々の意識もシフトしつつあって、古 いものが解体されていく、そんな予感もしています。皆さんの国ではどうですか?