モンテッソーリアンの視点:春のミラノの子どもの家より
少しずつ春の兆しが感じられるミラノより、もう三月ですね!
「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と言いますが… 長い冬が終わろうとしています。イタリアでは年末からワクチンの接種が始まったものの、途中で政権交代もあり、肝心のパンデミックの収束は未だに見えてきません。
それでも自然界を見渡すと、ここ数日で新芽が開いてきています。
今朝はDUOMO(ミラノ大聖堂)まで散歩がてらに大好きなデザートを買いに出ました。ミラノは、変異ウイルスの感染が拡がって、再び、明日からオレンジゾーンになり、規制が厳しくなる予定です。
我が家では、毎朝できるだけ新鮮なオレンジを絞って、ビタミンCいっぱいの搾りたてのオレンジジュースを家族で飲むようにしています。
そして、コロナ禍の今は、栄養面と衛生面では引き続き、最大限の注意を払っています。睡眠も大事なので、夜は早めに寝ています。
子どもの家では、今まで冬の期間、窓に飾ってあった雪の結晶の切り紙などのデコレーションを取り外し、謝肉祭(カルネヴァーレ)の子どもたちの手形で作った「希望の木」を作成しました。
春というのは、どこか新しい始まりというイメージがあります。日本でも学年末で、お別れや出会いのシーズンですね。
どうなるものか?と不安ながらに始まった学校も、なんとか春まで辿り着きました。
子どもたちを見ていて思うのは、目の前のことにいつも夢中で楽しみを見つける天才であるということ。
大人は心配したり、不安になったり、コロナにも翻弄されてしまいがちです。でも、子どもたちはいつも元気でキラキラと輝いている。そんな姿に励まされて、希望を感じます。
お仕事もぐんぐん進んでいます。まさしく充実の二学期です。
晴れの日が続いたので、お庭でのガーデニングも再開しました。雑草を取り、土を耕して、ジョーロで水を注ぎ、根っこから丁寧に植えていく。そして、毎日のようにお水もあげています。何かを育てるというのは、心に潤いを与えてくれます。ましてや、都会で育つ子どもたちには、特に土に触れることの大切さを感じます。
私が子どもの頃は、泥んこになって遊んだものです。竹馬をしたり、木登りをしたり、九州で幼少期を過ごした私の思い出は、自然に多く触れたものでした。
夕方、空が暗くなるまでいつも外で近所の子どもたちと遊んでいました。カラスが鳴いて、「ご飯ですよ!」と皆、次々に家に呼ばれて帰って行くのです。
今月から、年長さんたちは二人ずつ、エレメンタリー(小学校)のクラスに午前中だけ招待されます。そこで自分より大きな子どもたちのお仕事に触れて、新しい世界を体験できる機会を与えるのです。
今、年長さんたちは、Ricerca(リチェルカ)と呼ばれるリサーチに夢中です。
四大大陸の動物たちをリサーチして、2ページほど説明を書いて、絵を加えながら立派な小冊子を作っています。3年間、通った子どもたちの最後の年は統合の年です。言わば、この3年間の総まとめ。本当にいきいきとして楽しそうに活動をしています。
イタリアでは子どもの家は、小学校とセットになっていることがほとんどです。我が校も、同じ敷地内に小学校クラスがあり、100名の子どもたちが通っています。
子どもの家が約50人ですから、全校では150名となります。それに20名弱の教師や清掃員さんなどのスタッフも加えると、全員で180名です。当初は、10名の小さなアットホーム的な雰囲気でスタートしましたが、10年でここまで成長しました。我ながら皆で一生懸命頑張っていると思います。
ちなみに、子どもの家からおよそ90%の子どもたちが持ち上がりでモンテッソーリ小学校に進みます。学校として外部からは10%を受け入れるのですが、この場合はモンテッソーリ教育を6歳まで受けてきた子どもたちを優先しています。希に、外部の小学校からモンテッソーリ小学校に入学してくるお子さんもいらっしゃいます。
春になって、秋から冬にかけて種を蒔いてきたことへの収穫が始まりました。年長さんだけに限らず、年中さんも年少さんもそれぞれのお仕事のペースを見出して、とてもリズミカルに活動を進めています。そして、クラスのアイデンティティーも、子どもたちのそれぞれの個性が混じり合い、お互いへの信頼や尊重の元に確立してきたように思います。ここから4月の復活祭に向けて、それぞれのペースでお仕事をより洗練させていきます。
イタリアで思うのは、暮らしの中に一貫した美意識があることです。それはモンテッソーリに限らず、人々の意識の中にあるのです。文化の中に深く根付いているという方がしっくりきます。特にモンテッソーリでは、環境にある全てが、シンプルで美しく機能的であることが大切です。
子どもたちが帰った放課後のクラスを眺めて、この空気感が居心地いいなと感じました。ここからの舵取りを進めて行くと同時に、初夏までの航海の道筋も見えてきました。先生というのは、導き手でありガイド役です。全体として目指すべきビジョンはもちろんのこと、一筋の方向性が見えているのといないのでは全然、違います。
そして、モンテッソーリアンには豊かな感性が求められます。共感できる心なしには、何事も成り立ちません。相手の立場に立って、考えたり、感じたりできること。子どもを幸せにするのは、決して難しいことではないのです。本当はシンプルで簡単なことだと私は思います。
私は週末にはよく本を読みます。言葉は、宝石のような贈り物だと思うからです。特に『沈黙の春』の著者として有名なアメリカの海洋生物学者のレイチェル・カーソンの本が好きです。この春は再び、『センス・オブ・ワンダー』を読もうと思っています。
この本は、彼女自身の別荘に赤ちゃんの頃から遊びに来ていた甥っ子を連れて、二人が波が荒れる嵐の夜に海辺を散策したり、夜には一緒に星空を眺めたり、時には、森を探索したりする様子が静かに美しく語られています。
コロナで世界が大きく揺れる今、個人レヴェルで原点回帰が必要なのだとひしひしと感じます。
この本は、子どもの頃の素直な心に立ち返り、純粋な心のひだに触れるような喜びやピュアな感動、ドキドキや驚きを思い出させてくれます。同時に、海の潮風やさらさらの砂、日が沈む黄昏の時間のきれいな夕日、それらすべてが目に浮かび、心に潤いを与えてくれる一冊です。是非、手に取ってみてください。(上の画像をクリックするとアマゾンから直接購入できます。)
✨✨お知らせ✨✨
今月の20日に予定している大橋マキさんとのオンライン対談「ホリスティック x モンテッソーリ教育」では、更に子どもたちの感覚や記憶の洗練について、ホリステイックな視点からモンテッソーリ教育を見つめ、「五感をフルに使って自分自身を創造する子どもたちにいかに寄り添うか?」という内容で、より深いところからモンテッソーリメソッドの本質を分かち合います。どうぞ、お楽しみに!案内ページはこちら