モンテッソーリのマテリアーレ(教具)に関して

Il mio pensiero Montessoriano..
イタリアのモンテッソーリ教育に私が感じること。

“Ogni materiale è la forma concreta di un’idea.. Con le mani si tocca il materiale e nella mente si forma l’idea…” Maria Montessori

「一つ一つのマテリアーレ(教具)には、具体的な一つのアイデアがあります。子どもは、手で触れて、頭でそのアイデアを形成します。」


これは、マリア モンテッソーリ博士の言葉です。私の日常は、相変わらず、小さな手と知性に向き合う日々ですが、子どもの「デリケートな魂の秩序を引き出す」とは、こういうことなのか!」という美しい瞬間にこの時期には多く出会います。

それというのもイースター明けの5月から、6月にかけて… イタリアでは、学年末が近く、一年の総まとめの完成期、言わば、日本の3学期のような充実期に入るのです。

そのような美しい瞬間に… 最近の私は、この教育を支える1本の柱、普遍性のある揺るぎない「哲学」を感じます。子どもが自由意志で自分のやりたいこと、興味をそそられるもの、好きだな!と感じるお仕事を選び、そこに全身全霊で向き合っていく。

全身全霊で目の前の教具と向き合う子供の手

その時に子どもの中では何が起こってるのでしょうか?集中を見せる子どもの純粋で真意ある姿は、大人に感動を与えます。大人が言うからではなく、子どもが自分の内なる生命に自然なリズムで忠実に、従順な姿勢で動いてるからです。

環境を通じて、マテリアーレは声を持ち、子どもに語りかけるのです。「私の名は、ピンクタワー。さあ、私を使って!」と9月の新学期に子どもたちを迎え入れた教具たちは、今日も同じ場所で子どもたちに愛され、その使命を全うしています。

小さな知性が内から輝く瞬間をモンテッソーリアンは見逃さず、その炎が消えないようにじっと見守るのです。私は、そのような瞬間に国境を超えて、人間の精神の知性を感じます。

そのような存在の導き手になるために大事なこと。1、研ぎ澄まされた心でいること。2、感性が豊かであること。3、心が柔らかいこと。4、最後に、観察する視点。が必要になります。

なぜならば、私たちは、「教える」のではなく、「示唆するように導いていく」からです。こんなにも自由で美しい人間を育てる一種の芸術のような教育を私は、他に知りません。

そこに子どもの可能性を信じる、という要素が必要不可欠となります。日々、反省も含めた多くを学びながら、その原点回帰を繰り返し、自らも成長していくのです。

教具を使いながら自然に秩序を学ぶ子供の手

モンテッソーリ博士は、教師を子どもの生命に内存するエネルギーの方向性を導く存在と位置付けしました。敢えて、教師とは呼ばずに… Directrice (英 Directress)すなわちガイドして導く人という風に呼びました。

子どもの可能性を信じる時に、子どもが導いてくれるようになります。地平線の遥か彼方の未来において、人類の抱く《希望》を予感する気がします。そのように広いビジョンのある教育法です。

私は、マリアモンテッソーリ博士の《子どもの発見》は、文化遺産だと思っています。次回は、100年以上も前のその《子どもの発見》について、もう少し詳しく触れていきますね。

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