コロナに翻弄された2020年と雪のミラノ
2020年も終わりに近づいてきましたね。皆さん、いかがお過ごしですか?
日本では、お正月の準備も始まっているのでしょうか。
イタリアのクリスマスは、東方の賢者(博士)たちが訪れる1月6日のエピファニアまで続きますから、我が家ではまだツリーの飾りを眺めつつ、クリスマスムードを味わっています。
今年は、新型コロナウィルスの出現で世界中が不安定な状況となり、様々なチャレンジや変化に対する適応を強く要求される一年でした。個人的にも心身共に本当に辛い年でしたが、今、年の瀬において…この一年を振り返りながら、学んだことも多かったと感じています。
この記事を書いている朝、ミラノは雪がしんしんと降り積もっています。零下の寒さですが、家の中はとても温かく快適です。
そのような当たり前がなんて有難いのだろう、と過ぎ去る年を心の中で思い廻らせながら、慎重に言葉を選んでいます。
大変な年でしたが、過ぎ去って行くものですね。
そして、イタリアでは、既に12月27日からワクチン接種が始まりました。少し希望を感じられる風向きになってきましたが、どこまで安全性が実証されているのでしょう。
第二波のピークを過ぎても尚、毎日のように多くの犠牲者が出ていますから、祈るような気持ちには変わりありません。
危機はチャンス、と恩師がよく仰っていました。パンデミックによる封鎖で延期になってしまった数々のイベントもここに来て、再び、水面下で再企画が始まっています。
また秋のオンラインセミナーには、100名以上の参加者の皆さまとモンテッソーリ教育の本質について共に考えることが出きました。このような形でオンラインで繋がるという新しい領域に私が足を踏み入れるとは、一年前には想像もしなかったことでした。
この冬に始めた新しい試み、モンテッソーリの子育て支援を目的としたオンラインサロンでも一人一人との出会いを大切に、そこでしか学べない価値と内容を共有しながら、このご縁を大切に大切にコミュニティを育てていこうと思っています。
ちなみに、第一期はまだ定員に余裕があります。「オンラインサロンって何?」「どんなことをするの?」という質問もいくつか届いています。詳しくはこの記事の最後のお知らせをご覧ください。
私の学校でも、大変な一学期でしたが、子どもは誰一人として感染せずに無事に一学期を終えることができました。
最終日は、子どもたちもマスクをしてクリスマスキャロルを歌い、ズームでその様子をご両親に配信しました。そして、私たちスタッフには、ご両親からたくさんの感謝状や贈り物が届きました。それらを抱えて家に戻り、しばらくソファーで放心状態でした。
今年は、私にとって「教育者はエッセンシャルワーカーである」という新たな自覚が生まれた年でした。
モンテッソーリ教育の根源を深く知り、私自身の個人的な体験を表現する場所が私の場合、ブログであったり、執筆活動や翻訳、セミナーなどでしたが、今年さらにオンラインサロンという「共有」を目的とした場が新たに加わりました。
モンテッソーリ教育を大きな視点から見つめたとき、この私が今いるイタリアという国自体の教育が大きな意味を持っていることにも気づかされます。
ギリシャ・ローマの時代、人々は奴隷ではなく自由人であるための基礎的な教養として、リベラルアーツを身に着けました。近代に入っても、ヨーロッパ、そしてここイタリアの教育の神髄には、この流れが深く根付いているように感じます。
それはどういうことかというと、特にイタリアの学校では、修辞(レトリック)、文法(日本でいう国語とは別に文法を学びます)、論理、哲学、数学、幾何学、ラテン語、ギリシャ語、更に音楽、芸術、宗教、科学、スポーツ・・・と幅広く学問全体を捉えて、「リベラルアーツ」と括っているのです。
教育とは、未来を担ってより健全でより幸せな社会を作るため、国家にとっての重要なリソースであるという位置付けなのです。
イタリアの高校は、哲学とラテン語、文系ではギリシャ語も必修になっています。ですので、高校生のいる我が家でも、高校の5年間は毎年受験生を抱えているのと同じくらいハードな勉強に励んでいます。
ちなみに息子の通う学校では、外国語は英語、フランス語、スペイン語が主流ですが、ルネッサンスを生み出したイタリアの芸術の伝統を尊重して、美術史に関してはすべて英語で学んでいます。思春期の多感な時期に自国の歴史を外国語で多角的に眺めるのです。
そのような人格の礎である教育による『知性』を重用視する文化背景のもとにモンテッソーリ教育は生まれたということが一つの重要な要素となっています。モンテッソーリ教育は、このような教育を実践するイタリアという国だったからこそ、生まれたのだと思います。この文化の豊かさの中にマリア・モンテッソーリ博士が表れて、未来への種蒔きをするがごとく、歴史が彼女の運命を定めたのです。
イタリアでは、今年、新型コロナウィルスによる法令で個人の社会的な自由も厳しく制限されました。「自由な教育とは何か?」を追求したマリア・モンテッソーリ博士の力強い言葉に励まされましたので、この場を借りてシェアしたいと思います。
【教育とは、人間が人生の諸々の条件に適応して、
自己調整していく(内面的な)仕事です】
パンデミックに翻弄された一年を振り返っているときに、私はこの言葉に出会いました。
心に深く触れるものがありました。なぜかというとマリア・モンテッソーリ博士自身が、19世紀の初期にスペイン風邪を体験なさっているからです。
彼女自身が、第一次世界大戦、第二次世界大戦を生き抜いて、命からがら祖国からスペインへ亡命し、イギリスからインドに渡り、晩年はオランダで永眠されました。自らの天命を信じて、生き抜いた勇敢な女性の言葉だけに、重みがあります。
今年、私たちはマスクや除菌、消毒、社会的距離、ズームでのオンライン授業、自粛や封鎖と数々の試練に見舞われました。イタリアの教育の現場では、『群れない学び』で一人一人の可能性を開花させるメソッドとして、モンテッソーリ教育が再び注目されました。
その中で私たちが歩いてきた道のりは、困難や葛藤も含めて、全てが自己調整のプロセスだったのだ、とこの言葉から安堵感を覚えました。
さあ、来年はどんな年になるのでしょうか。軽やかに風通しよく、希望あふれる一年となりますようにミラノからお祈りいたします。写真は、クリスマスの我が家の朝食です。
新しい年が皆さまにとって実り豊かで喜びと愛あふれる年となりますように。今年もブログを読んで下さって、ありがとうございました。みなさまどうかよいお年をお迎えください!
❥︎:❥︎最後にお知らせ❥︎:❥︎
それから、オンラインサロンについて入会を迷っている方からいくつか質問をいただきましたので、別途ページに質問をまとめました。こちらもぜひご覧になってくださいね。